知ってる人はフロアコーティングを経験してる!

イギリスやフランスなどのアパルトマンなどと比較すること自体が、恥ずかしいしろものばかりだ。
圧倒的に多い節税対策のワンルームや、木造アパートなどを数に加えること自体が、まさに異常と言わざるを得ないのだ。
今、わが国は空前の豊かさだと言われている。
この豊かな時にこそ、パリやロンドンのように後世四、五百年も残せる住居をつくる必要がある。
文化会館や美術館も大切だが、その前に代々住める住まいをつくらないと、パリやロンドンのような文化や美術を残せない。
住宅を社会資本と考えると、土地にだけ執着して家を建てたり、買う姿勢もあらためる必要がある。
何よりも、住まいで儲けようとすることは、罪悪で恥ずべきだということを、精神的先進国の哲学に学ぶべきだ。
まして売り逃げ、建て逃げなどするメーカーや業者などは、国家的制裁を受けるべき重罪だろう。
とはいえ、現に、三千五百万戸以上という住まいが建ってしまった。
要するに数だけは充足してしまったのだが、ここで大きな社会問題が浮上する。
区分所有のマンションの立て替えや修理だ。
パリのアパルトマンのように三、四百年も建っていればよいのだが、わが国のそれはせいぜい四、五十年。
もちろんそれは建っているだけで住める状態かどうかはまた話が違う。
エレベーターは壊れ、配管が割れ、雨が漏るかもしれな一戸建てでも安心はできない。
四十歳で建てた即席ハウスも、即席だけに朽ち落ちるのも早い。
建て主が定年退職するころ、老後生活で頼りのその家も定年退職するかもしれない。
その時いったい誰が面倒見てくれるだろうか。
さらには、その間にも巨大地震が来るかもしれない。
道楽息子の進学にもいくらかかるかわからない。
そこで、せっせと小金を貯え、財テクに励む。
永遠に豊かな生活に飛躍できないでいるのだ。
そこで、同居住宅こそ多少は割高となっても、せめて百年以上は代々住める社会資本となるものとしたい。
安心なばかりか心が少々豊かになる。
こうしたハードがあってこそソフトが生きるのである。
同居のプログラムづく日ソ同居住宅ほどソフトウェアの重視される家づくりはない。
ソフトウェアとはまさしく「住まい方と住まいのプログラム」と言えるだろう。
高齢化社会と地価の高騰の社会環境の中にあって、ますます高度で卓越した思慮がないと住まいの設計はできなくなる。
個人の要望と現実的な住宅機器や材料とのかねあいは、コンピュータの情報収集能力によって、かなり管理されている。
しかしながら、こと間取りとなると、そうは簡単にはプログラムが組めない。
希望にそったそれらしいプランは生まれるが、必ずしもそれが家族と、その生活に合ったものとは限らない。
コンピューターの単純な0または1の二進法での解析は、時として明確すぎるほど明確に答えを出してくれる。
こういう思考法に不得手な日本人は、このコンピュータの魔力にすっかりのめり込んでしまう。
だが、ここで言うソフトウェアとは、こうしたコンピュータソフトとはワケが違う。
下手にコンピュータの指示に従ってプランをつくり、建ててしまうと、上下二世帯ではっきり分けられてしまったり、個室ばかりが目立つクールな住まいとなり、家族はとんでもない生活を強いられることになる。
こういう生活を「二進法の生活」という。
ますますこの危険な傾向が強くなりつつあることがおそろしい。
本当は核家族の夫婦でさえ、0か1かでは答えがでない。
2もあれば3もあり、0・5もあれば労もある。
それを無理にYESかNOかとやっていけば答えは出るには出るが、結局「離婚」などという答えも出かねないのだ。
私の経験からして、いったい何組の夫婦が家づくりで「離婚」しなければならないことになるか、想像もつかない。
老若二組の夫婦の同居住宅などでは互いが勝手な要求を出せば、答えは「別居」がよいと出るにきまっている。
だから単純に上下に床で仕切る二世帯住宅などがベストの答えとなりやすい。
それが今日のコンピュータソフトだ。
同居のソフトウェアとは、家族の経年変化のプログラムづくりのことで、これはかなり創造的なものと言える。
本人が年を取ることからやや消極的なイメージもなくはないが、子供や孫たちはどんどん成長するので、家族全体では明らかに創造的で建設的なものと言える。
同居住宅の設計には将来予測と、自己の身体と精神の老化が調和することが望ましい。
もちろん家族の変化もはなはだしいから、すべてに対応できるフレキシブルな設計など不可能だが、間取りがあってないわが国古来の田の字、目の字のプランの住まいが、むしろ柔軟性に富んでいて家族変化に合わせやすい。
またまた話がむずかしくなってしまったようだが、要は、自分の定年退職後に妻とどのような生活を送りたいか、さらに年老いて互いが不安なころ、そしてどちらかが欠けた場合……。
将来の経済と心理をよく予想して、方針をしっかりと心の中で持つことだ。
この方針を持つことによって、子夫婦側の考え方や姿勢も変えられ、本当に同居した時にはスムーズに行きやすい。
あせって二世帯にしなくても、意外に最初から楽しい同属になるかもしれないのだ。
同属のプログラムづくりには創造的な発想が第一に必要なのだ。
「衣・食・住」から「医・職・充」の時代へ方針を持って同居住宅を考えると、それまで見えなかった未来が見えてくる。
高齢化社会の医療や年金。
老いてからの就職難。
そして統計的にも老妻を一人残す可能性は大きく、愛妻の行末も気にかかる。
高齢化社会での老後生活は、なんといっても「衣」「食」は足りても、「医」が不安だ。
さらに働きたくとも働けない高齢者の就職難で「職」が欲しい。
そしてたとえ住まいはあっても、不安で寂しい年寄りだけの満たされない生活には「充」(心の充足)も欲しい。
「衣・食・住」から「医・職・充」の時代への大きな転換が必要な時代を予測して、拙著や新聞紙上でも訴えてきた。
「医・職・充」は住まいの形や間取りを考える以前に住まい方、もっと言えば生き方、老後老後のポイントは「医・職・充、対策を考えようという住まいづくりの提唱で、まさに今働き盛りの若い人のための居住のソ確かに医療機関はそろっていても、いざとなるとなかなか入院できない。
深夜や祭休日などには診察してもらえない。
急な発作などがあればとても対処できないなどと、年をとればとるほどに「医」は現実的な不安となる。
これで長期的な入院ともなれば、今の医療制度でも差額ベッドやつき添いなどと、その負担は大変である。
まして、二十年後どうなっているのか想像もつかない、われわれの切実な「医」の問題だ。
健康で長生きできても、ただ食べて寝てブラブラしているわけにはいかない。
人間は本能的に働くことに生きがいを感じる動物で、「職欲」がある。
毎日遊んでいるとかえってストレスを感じ、何もしないているとボケてしまう。
ところが時は高齢化社会の真っただ中。
職場は高齢者でいっぱいとなり、企業は定年を早めて若返りを目ざす。
すでにどの企業もこのことに頭を痛めている。
今は肩たたき程度かもしれないが、次第に高齢者たたきに変わってくるかもしれない。
第一の「職」も今は好景気で高齢者の職場も多い。
が、二十年、三十年後のわれわれ高齢者の再就職はそうはいかない。
OA化され、ロボット化される今の職場を見れば未来の再就職のむずかしさが想像できる。

ここではフロアコーティングによる、フロアコーティングのメリットを紹介します。
構成力が乏しい人というのは、フロアコーティングの細部にばかりこだわって、「木を見て森を見ず」的なフロアコーティングの思考をする人に多いようです。
フロアコーティングをするのが良いフロアコーティングであると言われていますので、こちらも覚えておきましょう。